製作許可が出た当時は、車大工だけで製作していたが、このように急激に需要が増えたことにより車大工のみでは生産が追いつかなくなり、一般の大工も参加して製作されていたと考えられます。
人力車が改良され精巧になっていくにつれて、部分品の製作も専門化していきました。そして資本力をもった製作業者が、職人を雇い入れて、自分の工場内で基幹部分を分業によって生産し、さらに部分本製作業者を組織して下請け化し、その部品を自分の工場で組み立てる、という方法によって人力車を生産していくようになりました。
人力車の部品の歴史については記録がありません。当時、明治三、四年に描かれた錦絵などを頼りに、製作の背景を見ていきましょう。
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